代表挨拶・実績

兵庫県で生まれ、高知県で育つ。現在高知市在住。

筑波大学医療技術短期大学部 看護学科卒業。

看護師歴24年。

短大卒業後東京警察病院、新東京病院、稲城市立病院等で手術室、救急外来勤務。介護施設にて6年間認知症専門棟で認知症の介護・看護を経験する。

【活動実績】

公衆衛生看護学会学術集会、京都看護協会、日本薬科大学

日本保健医療大学、高知県看護連盟

一般社団法人動物看護職協会

静岡がんセンター、古河病院、志摩市立病院、えのもと皮ふ科

介護事業所、渋谷区

トヨタ自動車、大手保険会社 、大手製薬会社

他大手通信会社、美容専門学校

一般社団法人メイクセラピストジャパン

一般社団法人メイクセラピー検定

【執筆】

看護roo!(看護師向け情報サイト) 「ナースのお悩み解決メイク塾」

動物看護師向け専門師「as」      「自分磨きcafé」

一般社団法人メイクセラピストジャパンHP  美容コラム担当

【取材記事】

テレビ高知 情報パレットからふる 化粧ケア放送、ゲスト出演

埼玉新聞 日本保健医療大学講義取材記事

化粧でオムツが取れた?注目の代替医療『メイクセラピー』講義潜入レポート

メイクセラピスト兼ナースにインタビュー!【前編】看護師だからこそできるメイクセラピー

メイクセラピスト兼ナースにインタビュー!【後編】2つの仕事を通して追求する「ケアの道」

【ボランティア活動】

介護施設(認知症専門棟)でのメイクボランティア活動4年間実施

【看護師になるきっかけ】

幼少期の頃から、病院で付添いの仕事をしていた祖母の背中を見て
育ってました。

小学4年生の時にテレビで初めて知った中絶の現実。

その時私は、生まれてくる命を守りたいと強く感じ、助産師に憧れました。

祖母の強い勧めもあり看護師の道へ進む事を決意。

でも、結局助産師にはならなかった。

なぜなら、子どもに当時全く興味関心が無く。

母親に、「あんたなんか産むんじゃなかった」と言われ。

「姉妹の中で、あんたが一番嫌いだ」

といわれてきていたせいか

子供を産みたいと、一度も思えず。

産みたい人の気持ちも理解できなかった。

産みたい、かけがえのない存在である子供と過ごす喜びを今では

心から祝福し理解できるようになりました。

これも様々な人との関わりと、学びのおかげです。

【看護師として働き始めたころ】

新人で第一希望だった手術室に配属。

とにかく怒られた新人時代。

主任の嫌がらせ?(今思えばそういう性格の主任だったのかもしれません)

同じ部署に、同期もいなくて。

愚痴を言う人もいなかった為か、職場では殻に閉じこもってたかもしれない。

5年目に最初の職場を離れる決意。

希望しない移動で病棟へ。モチベーション下がり。

こんなの嫌だと思って退職。

次に就職したところは、辞めたいだけで次を探し目的も無かったことともあり。

三か月で退職。

目的なく今の現状から逃げたいだけの就職活動って良くないな~と実感。

その後、すぐに心臓外科の手術がやってみたくて

友人も勤めていた病院へ就職する。

仲間には恵まれて、楽しく働いていたけれど。

過酷を極めた職場だった。

緊急手術の連続で、24時間勤務は当たり前

休みの日も呼び出しの連続。

緊張が続く毎日でした。

でも、2年勤めきって引っ越しを機に退職。

でも、あの経験は今でも生きてると思える場所だったなとおもいます。

天皇陛下の手術をされた、天野先生のいらっしゃった病院。

脳外、心外、外科、整形。

目まぐるしく、小さな病院だったけど・・・・。

その後は、引っ越した先で公務員になりたいと思い市立病院の面接へ行きました。

安定が欲しいと思った時期だったな。

思い返せば、安定って何?と思います。

面接で言われた忘れられない言葉

「公務員になるという事は、身分が保証されることになります。

それについてどう考えますか?」

疑問を抱きつつも結局就職。

でも、大きな目的は無かったけれど出会いや学びに恵まれたなと思う場所です。

そして、この職場で勤めていた時ヘアーメイクのスクールに通う事になった。

メイクの仕事がしたくて。公務員はダブルワークできないので退職。

この時に、最後上司だった師長さんには感謝の気持ちでいっぱいです。

今でも、人としても尊敬できる素敵な女性。

次は、非常勤で救急の夜勤バイト。

夜勤に疲れ果て、手術室で病院に再就職してみたけれど。

最初話してた条件と全く異なり・・。

一度、老健の認知症専門棟に就職。

3年間働いていました。

そこは、メイクボランティアで伺っていた施設。

介護の現場を知った事で、病院と施設の考えのギャップ

介護の現場の大変さ、ご家族の想いなどを知ることができ

とっても勉強になりました。

その後は、非常勤や派遣、単発の看護師の仕事をしています。

保育園で派遣看護師。

子供の無限の可能性と可愛さに癒されました。

【看護師からメイクセラピストへの転換】

看護師になって数年後、妹の突然の死。

命の尊さ、家族を失う事の強い悲しみと苦しさを身をもって感じ命について
考える日が続きました。

また、自らの入院生活で感じた

「入院すると、自分らしくいられないし女性としての

気持ちを大切にできず気持ちがより沈んでしまう」

という思いをきっかけに、
最期の瞬間まで女性らしく自分らしくありたいと強く願うようになる。

社会人になり、初めてまともにメイクをするようになり出会えた

あるアーティストの方。

その方との出会いで

「メイクで人は変わる事が出来る」

という事を実感しました。

自信もなく、自分の顔も大嫌いで整形しようとまで考えた。

けれど、メイクを知る事で自分を変えて自信を持つことが出来た。

以上の体験と思いから、

病気になられた方の為にメイクを通して
心のケアを行いたい

という思いからヘアーメイクのスクールへ通い。

メイクセラピーを学び介護施設、自宅サロンでメイクセラピーを開始しました。

そして、余命1ヶ月の膵臓癌の女性との出会い。

その方から伝えられた最後のメッセージ

「たとえ死ぬとわかっていても、自分らしく生きたいと思っているんです。
でも、私は言えなかった・・・・。」

その想いを胸に、化粧ケア事業を立ち上げようと決意しました。

【看護師サポートへの想い】

なぜ私が看護師サポートをしたいと持ったのか??

メイクセラピーを学んだ時に、

看護師って、共感も承認もされない。

努力しても認めてもらえない。

とても悲しい仕事だなと感じたからです。

私自身も自己受容できず、承認の言葉も受け取れず。

心が枯渇していた。

看護は好きだけど、看護の現場は嫌い。

努力が給料に反映もされず。

出来て当たり前、そんな世界に疲れ果て。

最後まで看護師をするのは無理だなと感じました。

でも、看護は好き。

だからこそ、現場で働く看護師を応援したい

今でも十分頑張ってるよね。

そう伝えたいし、自分がやっている仕事って

とても素敵な仕事なんだよと知ってほしい。

この想いを胸に、看護師を応援したい。

サポートしたいと感じたのです。

【今後について】

日本における癌罹患者数は増え、

それに伴い離職者も癌罹患者の3人に一人が離職している現実。

病気が、人生を左右してしまう現実を変えたい。

「その方が培ってきた経験を生かし続ける社会を創っていく」

その為に、がんに罹患した方への心と外見のケアサポートをしています。

少しでも治療前から前向きに、不安を軽減しながら治療に向かう。

1日も早い社会復帰や生活への復帰に向けて

心と外見のサポートを行う

「Cancer Support」を開始します。

また看護師として現場に立ち続ける中で抱えてきた想い。

看護師として働く人をサポートをしたい。

看護師は、どんなに頑張っても承認されず

次から次へと様々な課題を突き付けられ。

心も疲弊し、体力も消耗し。

それでも目の前に患者さんがいる限り笑顔で働き続けています。

そんな看護師を、サポートしたい。

看護師を辞めてもいい、続けてもいい。

でも、私は皆さんが頑張ってきている事を知っているから。

だから、看護っていいなそう思える人を増やしたい。

そして、自分の価値観を見つけイキイキ生活できる看護師を増やしたい。

そう考え、看護師サポートコーチング、医療スタッフ育成研修を

さらに充実させて実施していきます。